士業について紹介します

専門家を指す士業について紹介しています。

公認会計士 商品

公認会計士(こうにんかいけいし)とは、会計の監査、財務、経理、税務などを行う専門家のことです。また、最近では会計に関するアドバイスや立案、および経営戦略の提案などのコンサルティング業務も行うことが多いようです。
これらの業務の中でも特に、企業における財務の一つである監査業務は、公認会計士のみに付与された独占的業務とされています。
この監査とは、企業の会計報告を第三者の視点からチェックし、架空の計上(いわゆる粉飾)がないかを調べるものです。
株式会社は、投資家から資金を提供して運営されるため、なるべく良い売り上げにしなければならないのですが、架空の計上は発覚した際、
法的な処罰を受けるだけでなく、消費者や投資家に対して大幅なイメージダウンとなります。そのため、この監査業務が非常に重要なものとなります。

この本の評価ではありません(読んでません)

地検が有罪になるストーリをつくるんだったら、被告人の弁護人は無罪になるストーリをつくればいいのでは?私は診断テストで裁判官て診断されました。

経営者との距離感

楽しく読みました。

経営者と監査人との距離感が近すぎると思いました。
監査人が監査対象の経営に関与しているような印象を持ってしまいました。

経済事件の真相

ひきこまれるように読みました。「いったん日本の司法で疑惑をかけられてしまうと、抗弁するほどその疑惑は火に油を注ぐように強まってしまう。私は虚偽記載がないことを企業会計原則によって説明するのであるが、司法はそれを理解しようとしない。会計原則の基礎知識がないので理解力に乏しい上に、もとより会計人と法律家ではその使用言語が違うので、言葉が通じないのである」(はしがきより)このような司法に正義の判断を任せなければならない国民は不幸だと思いました。
検察のたてたシナリオによって調書が作成され、それに署名し、それに沿った証言をしないと不利な扱いを受けるとなれば、たいていの場合は不服ながらも検事の言うとおりにしてしまうでしょう。この本には、著者に悪いと思いながらも事実と異なる証言をしてしまう経営者たちの人間的な弱さや、業績が好調な中でしのびよる破滅の端緒や不可解な取引なども描かれ、人間観察的にもたいへん興味深い本でした。
公認会計士や法律家をめざす人、そして企業家になりたいと思う人にも読んでもらいたいと思う本です。









司法制度の根源的な問題を正す魂の一冊

2004年3月、あずさ監査法人の公認会計士が、東証1部上場企業の害虫駆除会社キャッツの株価操作に絡む粉飾決算事件で逮捕された。被告は、逮捕後190日間の勾留を経て、一審・控訴審において有罪判決を受け、現在は最高裁に上告中である。

著者は、その逮捕された公認会計士。一貫して「粉飾はなかった」と無罪の立場を貫きながら、特捜検察との5年超に渡る戦いの記録を、被告の立場から詳細に綴る。

ただの粉飾事件告白本ではない。本書の本質はもっと深淵であり、経済事件における現行司法制度の驚くべき事実を暴露する衝撃の作品である。

特に、国家権力の中枢機関である検察庁特捜部の横暴さに驚きの念を隠せない。被告人を有罪にするため、検察側の作成したシナリオに沿って関係者の証言を捏造するという過程があまりにも生々しく描かれているからである。

加え、裁判所の怠慢ぶり、弁護士の無力さ、そして監査法人の無責任さ。司法の世界の闇だけでなく、それらを取り巻く不合理な世界の一端を垣間見ることのできる書籍である。司法関係者、会計関係者だけでなく、一人でも多くの人が手に取って経済犯罪の現実について知って欲しい。

司法の自爆?

 本書を読むにあたって、読者各位のレビュー、特にネガティブな評価を下しておられる方々のレビューを読んでから読み始めた。著者が偏った一方的主張をしているのなら、それに流されないようにしようと考えたからである。しかし読了した今は、ネガティブ評価をされた方々のコメントはすべて的外れだと確信する。

 多少とも会計の専門知識のある者が本書を読んだら唖然とするばかりだ。何故なら、著者がくどく指摘するように、「会計上の犯罪行為」すなわち粉飾決算や有価証券報告書の虚偽記載が、そもそも存在しないことは明々白々だからだ。
 ところが司法は犯罪行為が存在したとする。その時用いられる論旨は会計理論のイロハを無視している。会計上の犯罪行為を論じるのに、会計基準のイロハを平然と無視して省みない司法。こんな司法が今日現在の日本で大手を振ってまかり通っていることを知って愕然とした。

 本件が最高裁まで行ったことは、むしろ幸いである。何故なら、このような司法の独善、傲慢、怠慢が国家を危うくするまさに”国家的犯罪行為”であることが、憲法に照らして審議される場が与えられたのだから。最高裁が自ら”司法の自爆”に繋がるような判決を下さないことを祈ること切である。